2000年秋季演奏会までの日記
2000年9月17日(日)秋季演奏会当日
 演奏会は無事に終了いたしました。
  台風の中、駅から遠い演奏会場に足を運んでくださったたくさんのお客様、ありがとうございました。さらにあたたかい拍手もありがとうございました。
  それから、演奏会の開催にあたり御協力くださいましたみなさまにもお礼申し上げます。ありがとうございました。
 当日のステージリハーサルは順調にすすみました。前日の「岩崎宏美」「豪雨」ときていたので、今日は絶対なにかあるぞ、と思っていただけにちょっと拍子ぬけした気がしました。団員もみな来ているし、楽器を壊したと騒ぐ人もいないし。
 と、思ったら、司会者が時間になっても会場にあらわれず、結局影アナウンスのみで進行しました(後になってわかりましたが、どうも倒れて病院で寝ていたとか)。
  これらのアクシデントにもかかわらず、演奏のほうは(非常にスリリングな箇所も結構ありましたが)なんとか破綻せずにすみました。お客様にも楽しんでいただけた模様で、ほっとしております。
 演奏上の反省は多々ありますが、ひとつ最大のものをとりあげるなら、それは合奏の技術の欠如です。「合奏の技術」とはすなわち、数えること、数えること。今回は初めての大ホールでの演奏会、耳で聞いた音だけに頼っていては必ず舞台の端と端で時差が生まれます。
 次回もまた大ホールでの演奏会。それまでに正確に数えること、その数えているテンポに正確に演奏できること、そういう技術を身につけるようにしていきましょう。

 さて、以下は演奏会の後の飲み会の反省・・・・。※内輪ネタです。すみません。
 実は何を反省すべきかよくわかりません。しかしそれは反省すべき事柄がないからではなく、そもそもほとんど覚えていないからです。困ったものです。
 断片的に覚えているのは・・・
1)なにかの音楽(フランス組曲?)にあわせて踊っていたような
2)ネクタイは理性の象徴です。これをつけているかぎり理性のたがははずしません、と宣言したにもかかわらず、気付くとネクタイがなくなっていたり
3)チューバのKさんがエスカレーターを自転車で降りていた・・(今考えるとすごく危険だが、そのときは面白いとしか思わなかった。酔っ払うって危険ですね)
4)どうも周りの人々の話によるとまた楽器を飲み屋で吹いてしまったらしい
5)同じオーボエのSさんに「結局デリーの最後のCの音、出ませんでしたねー」と言われる。すみません、ppが怖かったんです。
6)青木先生と乾杯をする(それ以外余計なことをしでかしていないことを切に祈ります)
 気付いたら家で眠っていたらしく、朝でした。
 もっと節度を保って飲むようにしたいものです。みなさん、すみませんでした。
2000年9月16日(土)
 演奏会の前日の練習は、演奏会場となるハーモニーホール座間のリハーサル室で行われました。
  台風が接近しているせいか、雷雨がものすごく外を歩くのが恐かったので、楽器を運ぶ車の荷台にのせてもらって会場まで行きました。20分くらいで着くだろうと思っていましたが、雨のせいとハーモニーホールで開催されていた岩崎宏美コンサートのせいで、会場近くは大渋滞。結局1時間近くかかってしまい、荷台で危ういバランスで座っていたので腰が痛くなってしまいました。
 本番近くにはアクシデントが起こるものです。この渋滞のため、団員の集まりが遅かったので練習開始を30分遅らせました。さらにパーカッションのGさんが楽器をひとつ忘れてきてしまいました。なんと、忘れた楽器は相模原ウインドアンサンブルの方が届けてくださいました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。本当にありがとうございました。
 さて、明日は台風直撃とのこと。どうなることやら。
2000年9月10日(日)
 本日は音楽室での午前中の練習。なかなかよい練習になったと思います。
 朝からの練習だというのに、なんだか昨夜の高いテンションのままの方が多かったような・・・。やはり演奏会直前はそうなるものなのでしょうか?
2000年9月9日(土)
 夜間の練習。練習会場の青少年学習センターではただいま演劇祭が開催されているため、いろいろな部屋が演劇のための控え室に使用されています。というわけで、いつもの音楽室ではなく大会議室での練習となりました。
 広さはだいたい同じくらいですが、壁から音がはねかえってきやすいので、近くでいろんな音が聞こえて自分の音が聞こえませんでした。おそらくみんなそうだったらしく、自分の音が聞こえないからもっと大きな音を出そうとして、それでいつもより余計に体力を使ってしまったように見えました。
 夜だということ、演奏会前ということ、疲れているということ、これらの要素のためか練習後はやけにテンションの高い団員が多かったような・・・。夜なので周りにあまり迷惑をかけるような大声は慎みましょうね・・・。
2000年9月2日(土)、9月3日(日)
 2日とも分奏練習でした。直前に細かなところのおさらいを目的として入れたものですが、うまく活かせましたでしょうか。
 練習が終わるころにはいつも空腹になっています。サウンド・オブ・ミュージックの最後の部分の金管の強奏が「はーらーへっーたー」に聞こえる今日このごろです。
2000年8月20日(日)
 と、いうわけで今日も録音しようと思っていたのですが、できませんでした。機械は持ってきたのですが、肝心のMDを忘れてしまうというマヌケなことになってしまったのです。さらに情けないのは財布には112円しか入っておらず、買うこともできないということ。
 練習内容はそこそこのものでした。このところ、昨年に比べて全体的に完成度に対する執着が強くなってきているように感じられます。よいことと思います。
  午後は例によって自主分奏が行われていました。部屋がひとつ空いている、というので今までさらいきれていなかった箇所(シンフォニアノビリッシマのあそこと、あそこ・・・、カーテンアップのあの部分・・・)をおさらいしました。その後にクラリネット・サックスのみなさんと慕情の冒頭部分の練習。
 金管セクションは青木先生にみていただいたとのこと。噂にきくとなかなか密度の濃いよい練習だったとか。うらやましい。
2000年8月19日(土)
 この日は練習を録音しておきました。
 近くで周りで大きな音がなっているので、練習中は気が付きませんでしたが、思っていたよりずっと雑な演奏に聞こえました。ここは聞こえていないだろう、と思っていたところがばっちり聞こえていたり、逆にこれくらいで十分聞こえているな、と思っていたところが伴奏に埋もれてほとんど聞こえなかったり、録音しておくとなかなか面白い発見があります。
2000年8月13日(日)
 関さんによるサウンド・オブ・ミュージックの合奏。取り上げるベネットの編曲のものは音源がないので、なかなかつかみづらかったのですが、関さんにみていただいてやっと目鼻がついてきたような気がします。
 午後はまた自主パート練が行われていました。私は初心者で始めたクラリネットの方とサックスの方と一緒に練習をしました。おもに基本的な息づかいについてですが、嘘をふきこんでいないことを祈るのみであります。
 演奏会のちらしが配布されました。なかなかきれいでよい出来です。
2000年8月12日(土)
 土曜日の練習は日曜日に比べて人が少なくてさみしいです。しかもこの日は広い場所での練習でしたので余計にさみしく感じられました(おまけにクーラーがききすぎるので、寒くもありました)。
 練習は前半はフランス組曲の合奏、後半はシンフォニア・ノビリッシマの木管練習。進み具合は一進一退、世の中ままならぬものでございます。
2000年8月6日(日)
大変疲れる1日でした。演奏会を1ヶ月後にひかえて、最近は自主パート練習・セクション練習がよく行われています(本日も金管セクション、クラリネット、フルートが練習してました)。なぜかなりゆきから午後のクラリネット練習と夜間のフルート練習に参加することになり(ちなみに私はオーボエ)、結局朝から晩まで練習ということになってしまいました。うう。
 午前中の合奏も含めて、充実したいい練習だったと思います。ただ夜になってくると疲れのためか、だんだん頭が悪くなってきます。どうでもいいことで笑い出してしまいしばらく練習にならなかったり、いい年した大人が「箸がころがってもおかしい」状態におちいってしまいました。
 まあ、練習内容は悪くなかったと思いますのでよしとしましょう。
2000年月8月5日(土)
 個人的な理由から2週間連続して練習を休みました。
  というわけで久しぶりの合奏でした。久々にきくBAGの音は、思っていたよりもよいけれども、合奏の出来は思っていたより悪いと聞こえました。
 練習場所はいつもとちがって、ホールと呼ばれる広い部屋でしたので、非常によく響きました。アンサンブルの乱れのひとつの原因は響く会場での合奏になれていないためと思われます。もうひとつの原因は、音の始まりと終わりがはっきりしないためと思われます。自分の決めたところから音が始まり、決めたところで終わりにできる技術というのは演奏上で最も基本的な技術です。同時に非常に難しいことでもあります。まあ、地道にやっていきましょう。
2000年7月30日(日)
 今週もひきつづき木管・金管に分かれて分奏練習でした。木管は、関氏、金管は青木先生に指導していただきました。木管セクションでは、カーテンアップ1曲に集中して指導していただきました。演奏の出来は「なかなかやり甲斐があるねえ!」という指揮者の言から窺えるでしょう。この曲についてはまだ課題が多い状況です。昨日29日土曜も、早いパッセージでなかなか指が回らない部分をひたすら繰り返し練習したのですが・・返って疲労が残ったかも。まあ、そうは言っても、この2日でだいぶ成果が上がったと思うので、来週の合奏が楽しみであります。
 金管はサウンドオブミュージック・ロンドンデリーの歌・慕情をみていただきました。サウンドオブミュージックをやるたびに頭の中では「古〇任三郎」が頭をよぎります(私だけ?)
2000年7月29日(土)
 本日、木管は垣見さんにサウンドオブミュージック、ノビリッシマ、慕情(譜読みをかねて)を見ていただきました。土曜練ということもあって、少々メンバーが寂しかったです。青少年団体室のクーラーはききが悪いですね。
2000年7月23日(日)
 木管は垣見純さんにフランス組曲、ノビリッシマを見ていただきました。両方とも、あやしいところを重点的に。合奏では吹けているように聞こえていたところが、実は出来ていなかったりするものです。一人一人違った宿題を持って帰りました。
 金管は青木先生に練習を見ていただきました。1曲目カーテンアップ!2曲目ロンドンデリー。で最後にサウンドオブミュージック。カーテンアップは最初からきちんと細かく見ていただいて、やっとある程度つかめてきたのではないかと思います。最後のサウンドオブミュージックはかなり強行軍で青木先生にちょっと申し訳なかったです。もっと個人練なりパート練なりが必要ですね。
2000年7月16日(日)
 本日は垣見さんによる合奏で、フランス組曲を中心に練習しました。
 やはりフランス組曲はこわい曲で、ちょっと気がゆるんで雑に(テンポやら、音の長さやら)なるとめちゃくちゃになってしまう、ということがよくわかりました。ただ、きちんとできるとそこそこ良い音が出るようになってきたのは嬉しいかぎりです。でも演奏会は1回のみ。やはり恐いものです。
 他にもグレインジャーの「デリー地方のアイルランド民謡」を練習しました。しかしこれ、長い名前ですね。いい略称はないものかと思いつつ、いつも「ロンドンデリーの歌」と言ってみたり「グレインジャー」といってみたりしていましたがいまいちしっくりきませんでした。そうしたら本日ある人が「アイリッシュ・チューン」と言っていたのがとてもスマートに聞こえて気に入りました。適切な略称は聞いていて耳に心地よいものです。
 とりあえず、フランス組曲を「ふらくみ」というのはやめましょうよ…。
 来週からはまた分奏練習になります。
2000年7月9日(日)
 本日は2月の演奏会以来初めての指揮者の関さんによる練習でした。久々にいらっしゃって、新しい団員が増えたのを喜んでくださいました。
 曲目はリードの「カーテンアップ!」。初めのうちはお互いにかみあわないところもありましたが、後半からは調子のよい練習になったと思います。
 今日もまた、見学の方が3名おいでくださいました。うちお二人は2回目でクラリネットの方々、お一人は初めて来てくださいましたが、こちらはオーボエの方だそうです。ありがとうございます。今後ともぜひともよろしくお願いいたします。
 午前の練習の後も会場が「BAGウィンドアンサンブル」の名前でおさえてあるので聞いてみたところ、ホルンパート練をする、とのこと。「ホルンは他のパートに比べて吹けないから、9月の演奏会まで毎回パー練することにしたの…」とのこと。う、耳が痛い…。
2000年7月2日(日)
 アンサンブルコンサート、という初めての企画も無事に終わりました。ほっとしております。とても。
 今回は、特に公式には練習の時間を設けないで、出演する人たちで勝手に練習を組んで、準備をすすめてもらいました。ですので、当日まで全然、どのくらいの仕上がり具合かわからずにいまして、正直いって非常に不安でした。ステージリハーサルを一通り聞いてみて、まあ思っていたほどめちゃくちゃにはなっていないとわかって少し安心しましたが、それでも本番もまた不安でした。なんといってもどんな事故がおきるかわからないのが、本番ですから(だから面白いのですが)。
 幸い大きな事故はなかったようで(ありませんでしたよね?)、なによりでした。本番の演奏も(なかなかスリリングでしたが)そこそこの出来になっていたようです。
 自主練習である程度までの成果をあげられたのは非常によろこばしいことです。来週からも、ぜひ自主的にやっていきましょう。
 最後になりましたが、お手伝いいただいた皆様、演奏会においでくださいました皆様、本当にありがとうございました。
2000年6月25日(日)
 よい練習でした。適度の緊張感があり、反応もよく、心配していたアルトサックスの演奏はだいぶ改善されているし・・・(まだまだですが)。次回からも、こういうよい雰囲気で練習できるといいですね。
 フランス組曲の練習中に第5楽章「プロヴァンス」のなかのトランペットの譜面が間違っているのではないか、との話題に。スコアもパート譜も一致しているが、どうも変な音になる箇所がありました。試しにトランペットの方々が吹いているのを聞いていて思ったのは、「あ、あの録音は音をはずしていたわけじゃなかったんだ」ということでした。
 実は、フェネル/イーストマンWEのCDを持っているのですが、なかで思いっきりトランペットが音をはずしている(と信じていた)箇所があったのです。ライブ録音でもないのに、こんなん売り物にしていいのか?いいかげんだな、フェネルも。と思っていたのですが、どうやらあれは譜面に忠実に演奏した結果らしいですね。間違っていたのは私のほうでした。ごめんなさい。
 この話を指揮者の垣見さんにすると「いや、わからないよ、もしかしてイーストマンも同じ間違った譜面でそのまま演奏しちゃったのかもしれないよ」とのこと。しばらく話し合った結果、ミヨー先生が亡くなられている以上、恐山のイタコさんの御協力を得ないと真相はわからないだろう、ということになりました。全然役に立たない結論ですね。まあ「多調性」のミヨー先生のことですから、このままでいいような気がします。
 本日は見学の方が2名もいらしてくださいました。ちょうど人手不足のクラリネットとチューバにひとりずつ。ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。
2000年6月18日(日)
 本日は、フランス組曲、シンフォニア・ノビリッシマ、カーテンアップ!の3曲の練習でした。金管トレーナーの青木先生が練習をみてくださいました。
 ミヨーのフランス組曲は他の2曲と違って編成が薄い部分が多いため、譜面は簡単ですがうまく聞こえるように演奏するのは困難な模様です。ただ、一月前に比べると金管の、特にトランペットとホルンが安定してきたように思われます。これも青木先生のおかげでしょう。
 ノビリッシマ、カーテンアップ!については、まだ譜面がこなせていない部分が多い状態です。青木先生は、指は練習すればまわるようになるだろう、ただ気をつけるべきは、はやいところでもきちんと息を吹き込むことだ、とおっしゃっていました(余談ながら、このあたりの息づかいについては弦楽器の弓の動きがとても参考になります。こまかい音符をきちんと鳴らす演奏者はどのように弓を使っているのかを見て、それを息づかいに翻訳しようとするとうまくいく場合があります)。こまかな音まできちんと聞こえるように、丁寧におさらいしていきたいものです。
 本日はクラリネットに見学の方がいらしてくださいました。ありがとうございます。
2000年6月11日(日)
 本日は新たな曲を初めて合奏しました。
 もともとの予定はそれらの曲(カーテンアップ!、デリー地方のアイルランド民謡、ブロックM)のみの練習でしたが、先週の出来があまりに悪かったということでフランス組曲とシンフォニアノビリッシマも再履修となりました。
 とりあえず、仕上がりが遅くてだんだんあせりが見えてきた模様です。(でも周りがあせっているので、かえって安心してしまう私は、あまりよくないですかね、やっぱり)
 グレインジャーのデリー地方のアイルランド民謡は、「ロンドンデリーの歌」という名前のほうがよく知られています。有名な旋律の譜面もそんなに難しくはない曲。その分音色・アンサンブルなどといった基本的な楽団の性能が問われるこわい曲です。
 ブロックMは結構おもしろいコンサートマーチ。トリオのトランペットがなかなか素敵なことをやっています。
  カーテンアップ!はリードの能天気な曲です。譜面が読めるようになるまでは長いかもしれませんがそれからは早く仕上がると見ています。
 本日は親子づれで見学にいらしてくださった方がいました。ありがとうございます。
2000年6月4日(日)
 本日は1ヶ月ぶりの合奏でした。いつもの狭い会場ではなく、広い練習会場(サン・エールさがみはら)でした。
 広い会場ではひとりひとりの音まではっきり聞こえるので粗が目立ちました。ひさびさの合奏であり、またトレーナーの先生にみていただくということもあり、適度に緊張感のある練習でよかったと思いますが、出来が悪かったのが非常に残念です。
 新しい曲の譜面が配布されました。来週早速練習する予定です。ちゃんと目を通してきてくださいね。
2000年5月28日(日)
 朝はどうも気分が悪く、練習のはじめのころも、なんだか吹きにくいなあ、と思いながら練習していました。11時を過ぎたあたりからやっと回復しましたが、そのときにようやく前日の酒がぬけたということのようです。酒を飲んで楽器は吹けないというのが本日の教訓でした。演奏会の前には飲まないように気をつけることにします。
 最近、ちょくちょくといろんなパートで自主練習が組まれています。よいことだ、と思っていますが…「いやー、ウルトラマン、奴はすごいよ、パンチが音速をこえるんだよ」なんて会話が聞こえてきました。どうも、練習場所に使った公民館の一室にウルトラマンの絵本が置いてあったらしく、それを読んできたとか…。練習もやってますよね、ちゃんと。
 来週は1ヶ月ぶりの全体合奏の練習。さて、この1ヶ月でどれくらい変わったか楽しみですね。
2000年5月21日(日)
 本日も疲れる練習。できないところを繰り返し、繰り返しやる練習でした。よい楽団というものは自浄作用がはたらくもので、何も指摘されずとも何度かくり返すだけで勝手にうまくなっていくものですが…。そういう状態を目指したいものです。
 金管のほうは、本日で2回目となる青木先生の練習でした。木管の練習が終わった後に、金管のほうへもお邪魔して少々お話しました。「実は木管のほうは金管よりもちょっと下手なレベルで…」と話すと「えっ、木管のほうがいいって聞いてましたけど」とのお言葉。うう、隣は緑にみえるのか、それとも単にお互い自信がないだけなのか…。
2000年5月14日(日)
 本日も2箇所に別れての練習。午後からはアンサンブルの練習を行ったメンバーも多く、同じ練習会場を使っている相模原ウィンドアンサンブルの方には「いやー、お盛んですねえ」なんて言われましたが…練習とは名ばかりでお茶会とかにはなっていないですよね…(まさか宴会にはなっていないですよね)。
 練習の内容は、木管は地味なものでした。指導者のいない自主練では、くだらないことを喋るよりは音を出す、という方針で練習を進めていますが、いや、なんというか、疲れるんですよね、こういうの。ある程度吹けるフランス組曲は「浅く、広く」、まだまだ吹けないシンフォニアノビリッシマは「深く、狭く」繰り返しの練習でした。
 聞くところによると金管のほうもなかなかよい練習だったとか。
 分奏練習はあと2回続きます。木管も金管もきちんと練習して、6月にはひと皮むけた状態でお互い合奏できるようにしましょう。
 フランス組曲をやっていることもあるので、ミヨーの曲でも聞いてみようと思いCDを購入。「世界の創造」「ブラジルの郷愁」「屋根の上の牛」の入ったもの(バーンスタイン指揮/フランス国立管弦楽団)。楽しい。
2000年5月7日(日)
 2週間ぶりの練習でした。木管は橋本のサン・エールさがみはら、金管は矢部の青少年学習センター、ふたてにわかれての練習でした。BAGにとっては初めての経験であります。加えて、金管のほうには本日初めてトレーナーの先生がいらしてくださいました。それから木管のほうの練習には見学の方が2名いらしてくださいました。
 というわけで、「初めて」ばかりの今日の練習、とても不安でした。みんなちゃんと練習場所がわかるだろうか、とか、あまりの下手さにあきれてトレーナーの方が帰ってしまうのでは…などなど。
 幸い練習は双方とも無事に終わった模様です。午後にはフルート、クラリネット、サックス、ホルンの4パートがパート練だったそうです。7月のアンサンブルコンサートにむけての準備が着々と進んでいる様子です(あれ、ということは木管で午後に練習していないのはオーボエだけ?ということは私1人だけ?家でのんきに「子熊物語」なんぞ見ている場合じゃないですね…)。
 9月の秋季演奏会の曲が7割ほど決定されました。
2000年4月23日(日)
 本日はゴールデンウィーク前の最後の練習。30日は連休の初日で、しかも4月の5回目の日曜日なのでお休みにしました。私はゆっくりと休むつもりですが、いつのまにか団内にワンゲル部が結成されており山登りをする団員たちがいるらしいです。元気ですね。
 シンフォニア・ノビリッシマは、初めての合奏でしたが、驚いたことにそこそこ通せるようでした。フランス組曲にあれだけ手こずっていたので覚悟していただけに、たいへん安心できました。やはり曲を知っている人がたくさんいたことが大きいのでしょうか。
 練習の後に町田市立図書館へいってみると、ミヨーの自伝『幸福だった私の一生』があったので借りてきました。フランス組曲については軽く次のようにふれられています
 ある出版社が、ブラスバンドのための、学校でも演奏できるやさしい曲を求めてきたので、ノルマンディー、ブルターニュ、アルサス・ローレン、プロヴァンス、つまり連合軍が私の国を解放するために戦った地方の民謡をそれに生徒達を親しませるために使って<フランス組曲>をつくりました。
ということだそうです。
 5月の練習はすべて木管、金管と別々の場所での練習です。6月に合奏したときに、お互いを驚かせるくらいにうまくなっていることを期待しております。
2000年4月16日(日)
 本日もまたフランス組曲の合奏でした。やっとなんとか形になって参りました。ひと安心です。
 最近、クラリネットの人数が増えてきたことを受けていろいろと配置を変えておりますが、これがなかなかぴったりの位置がみあたりません。まるで眠られない人がなんども寝返りを打つように、毎回ちょっとづつ位置を変えています。
 今回は、なかなかよい配置だと思ったのですが…気付くと自分の座る場所がありませんでした。仕方なしにまん中あたりにひとりで座りました。
 秋の演奏会でジェイガーの「シンフォニア・ノビリッシマ」をやると発表しました。私はつい最近までよく知らない曲だったのですが、やはり有名な曲のようで、暗譜している団員もいる模様。頼もしいですね。
2000年4月9日(日)
 そろそろ届いてもよさそうなディエスナタリスの譜面がまだ来ません。というわけで本日もフランス組曲の練習でした。この曲は譜面はそんなに難しくありません。譜面をこなせるようになってからが長い曲です、ので、早めにこなせるようにしたいものです。
 フランス組曲は、初めの方の曲はそこそこまとまってきましたが、後の方はまだまだです。特にプロヴァンスはまだまだ個人の練習がたりないようです。
 がんばる必要はありませんが、個人のレベルでもう少しシビアに練習していきましょう。適当に吹き散らかして終わりにしないでくださいね。
 練習の後はお花見でした。
2000年4月2日(日)
 「本日も分奏練習。さすがに2回もつづければまとまってきます。次回の合奏が楽しみですね。」
 とは先週の言葉。楽しみにしていただけに、仕上がりの悪いのにがっくりきてしまいました。先週はできたはずのところ、できたはずのことが…。まあ、これからも地道に練習していきましょう。
 練習の後は9月の秋の演奏会の手続きをするためにハーモニーホール座間へ行って参りました。その後は横浜へ。ただいま演奏会の選曲をしているので曲の勉強をせねば、と思いCDを買いにいきました。
 お花見は桜の開花にあわせて来週9日に延期。持ち寄り制ですので、みなさまこちらの準備もお忘れなく。
2000年3月26日(日)
 本日も分奏練習。さすがに2回もつづければまとまってきます。次回の合奏が楽しみですね。
 木管について言えば、まだ個人レベルでできないところがたくさんある模様です。そういうところをおさらいしてきてくださることを期待しております。個人でできることは分奏で練習したくないですし、分奏でできることは合奏では練習したくないものです。みんな貴重な時間をさいて毎週集まっているわけですから、時間はできるだけ有効に使いたいものです。
 しかしいくら「有効に」使うといっても、やってはいけないのは、電車の中でタンギングの練習をする、といった公共の場での行為。私はそれをやって、どうも「アヤシイ奴」と認定されたらしく、まわりから人がすすっといなくなった、という経験があります。
 欠席者に「猿のオリに指をはさまれて怪我をしたから」という理由の団員1名。なかなか珍しい理由ですね。本人には申し訳ありませんが、笑ってしまいました。
 本日は2名も(クラリネットとバスクラリネット!)見学の方がいらしてくださいました。来週もいらしてくださるそうで、今後ともぜひよろしくお願いいたします。
2000年3月19日(日)
 部屋をふたつ使っての分奏練習。隣の芝生はなんとやら、隣の(…と正確には下でしたが)金管はうまく聞こえるものです。木管の練習中に時折聞こえてくる金管を聞いて思わず「あれ、BAGかなあ?」などと間抜けな質問をしてしまうことも数回。後で少し金管のほうの練習も聞かせていただきましたが、部屋のなかで聞くと、まあそんな木管とかわらないや、と思えて少し安心…じゃなくて、残念でした。
 でもまだ、演奏会まで時間がありますので、この調子で確実に練習していけば充分、聴かせられる演奏ができるでしょう。練習の進み具合は悪くありません。これから、これからです。
 フィリアホールの抽選には見事に落ちました。機械の音声で「アナタノ当選件数ハ0ケンデス」と言われるのは、なんだかとても悲しいものがありますね。日頃の行いをよくして、また来月籤引きにのぞみます。
2000年3月12日(日)
 2回目のフランス組曲の合奏でした。なんといいますか、やっぱり我々は下手だったんだなあ、としみじみ思ってしまいました…。昨年12月にホルストの第2組曲を集中して練習したときには、わりと容易に仕上がったのですが、なかなか今回はそううまくいきそうにありません。なんとなく、では合奏にならない曲であります。ひたすら譜面に忠実に演奏することが求められます。
 そこで予定を急遽変更して、次回と次次回の練習は合奏ではなく分奏練習としました。細かな技術的な問題はできるだけこの2回で解決して、あとは楽しい音楽の練習ができるように、という作戦ですがはたしてうまくいきますかどうか。
 チューバに見学の方が1名いらしてくださいました。ありがとうございます。
2000年3月5日(日)
 本番後、第1回目の練習。本日は新しい曲の譜読みでした。
 曲目はダリウス・ミヨーの「フランス組曲」(ちなみにハンソンの「ディエスナタリス」は譜面を注文されてから作成するとのことで入手がおくれるもよう)。ちょっと意外でしたのは練習後に尋ねてみたところ、ミヨー先生の知名度が結構低いということ。そうか、結構マイナーな方だったのね。
 一部の方には釈迦に説法になるのを承知のうえで御説明してしまいました。
 ダリウス・ミヨーは「フランス6人組」のひとり。サティのような新しい音楽を模索する音楽家ということで、「ロシア5人組」をもじってつけられた6人組だとか。6人とは、ミヨー、オネゲル、プーランク、オーリック、タイユフェール…とあと誰かひとりです…デュレ…だったかな。私が実際に作品を聞いたことがあるのは前の3人のみで、あとは名前しかしりません。
 たしか2年ほど前に日本でも「幸福だった私の一生」というなんともニクラシイ題名の自伝が出版されておりますので、詳しく知りたい方は図書館にでもいってみれば比較的簡単にいろいろ知識をたくわえられることでしょう。
 「フランス組曲」は1945年に、祖国を解放中の連合国軍への感謝の気持ちをこめて当時アメリカにいたミヨーが作曲したものです。また、当時スクールバンドのために良い曲がない、と思っていたミヨーがそれらのバンドのために書いた曲でもあります(たしか、そうです。ちょいと参考文献もなにも見ないで書いているので少々アヤシイですが)。
 だから、そんなに難しい曲ではないはずです。
 練習の帰りにふとCD屋さんによってみると、「ハンソン指揮/グランドキャニオン」なんてのが目に入ってくる。おや、と思って手にとってみると、おお「ディエスナタリス」の作曲家のハンソンではありませんか。指揮もふったりしてたんですね。こちらは28歳(だったかな?)の若さでイーストマン音楽学校の学長に就任した人。才能ある人だったようです。