フランス組曲
D・ミヨー
 フランス組曲は1945年、アメリカにて作曲されました。作曲者のミヨーはフランス人、彼自身の言葉では「プロヴァンスの、そして宗教的にはユダヤ教を信ずる」フランス人です。そのミヨーにとって、第2次大戦で祖国が占領されたことは大きな悲しみであったと想像されます。パリが陥落し、ドイツの傀儡政権が発足するとミヨーはフランスを逃れ、クルト・ワイルに出迎えられてアメリカに入りました。
 アメリカでミルス・カレッジの作曲教授の職についていたミヨーはある出版社より「ブラスバンドのための、学校でも演奏できるやさしい曲」を依頼され、このフランス組曲を作曲しました。当時は連合軍によるフランスの解放が進んでいるところでした。ミヨーはアメリカの若者むけのこの曲を、連合軍がフランスのために戦ってくれている場所の民謡を使って作曲しました。彼らの父や兄たちが、ドイツの侵略を防ぐために「これらの州で戦っているということを思い起こしながら、この地方の民謡に耳を傾けていただきたい」という思いからです。
 初演は1945年6月30日、ニューヨークのセントラルパークにて、ゴールドマン・バンドによって行われました。
 この組曲は以下の5つの曲から成っており、それぞれに地名がつけられています。

ノルマンディー
「濡れて輝く牧畜の国ノルマンディー」とうたわれたこともある、豊かな地方だそうです。また、上述の通り、フランス解放の始まるノルマンディー上陸作戦の土地でもあります。
ブルターニュ
どんよりと曇った日が多い地方。ホルンの旋律から始まり、やがてオーボエが「哀れなブルターニュの漁夫」の旋律を演奏します。
イル・ド・フランス
パリを中心とした森林と牧場と農場の緑の地方。速いテンポのにぎやかな曲です。
アルザス・ロレーヌ
有名な鉄鉱石の産地であり、フランスとドイツの300年の長きにわたる係争地。戦火にみまわれ続けた、この不幸な土地の人々の葬送行進曲、とも言える曲です。
プロヴァンス
ミヨーの故郷。木管による第1主題のあと、プロヴァンス太鼓のリズムにのってピッコロ、フルートが副主題を奏でます。トランペットとトロンボーンによるファンファーレをはさんで中間部にはいり、また同じ合図により主題が再現され、コーダに入り、曲は終わります。

参考文献:
『(最新)名曲解説全集7』(音楽之友社/秋山邦晴著)
『幸福だった私の一生』(音楽之友社/D・ミヨー著、別宮貞雄訳)